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 Paragraph  2010 バックナンバー

 

 

   2010年 12月号

 11月3日、ドイツ医師チームが1,500個の光センサーの人工眼を埋め込み、視神経を通し脳に38×40ピクセル画像を結ぶ臨床成功の論文を「英国王立協会紀要」に発表。僅か1平方センチメートル程の画像を脳は正常な大きさや7段階の灰色のクラデーションの情報で伝える。世界の20万人の網膜色素変性失明者に朗報である▼7日〜14日横浜CSOM及びAPEC。11日、12日、G20ソウル・サミット開催。警備の厳重さだけが印象に残った▼13日、ミャンマーで自宅軟禁されていた民主化活動家のアウン・サン・スー・チー女史(65)解放。89年に拘束されて以来21年間に解放は僅か6年。束の間の喜びでないことを願う▼16日、探査機ハヤブサのカプセル内に小惑星イトカワの微粒子判明。JAXA川口教授は「想像、期待以上の成果。夢を超えたもの」と語る。計画から25年、絶望から何度も蘇った7年間。夢と希望の大切さを次世代に繋げてゆきたい▼21日に渋谷駅南西300b程に区民文化センターが開館し、24日からプラネタリウムもオープン。12階建てに保育園、図書館、子供科学センター、区民健康センター、伝統芸能から現代演劇までの伝承ホール等、子供、老人、女性向けと多彩。職員の熱意が隅々まで感じられた。心身の豊かさを重んじた渋谷区に敬服と感謝▼23日、境界線近くの韓国・延坪島(ヨンピョンド)に北朝鮮から砲弾170発。韓国も80発応戦。韓国は民間人を含め4人死亡、19人負傷▼同日、私事だが母校氷川小学校の記念石碑除幕式。明治41年に開校し平成5年に閉校。勝海舟屋敷跡にあり、校門傍の樹齢200年の銀杏は今も健在。久し振りに聞く校歌は文語調で千代田も海舟も銀杏も全て歌われている。高台なので嘗ては皇居も見えたのだろう。現在は港区の老人ホームや子供と青少年のプラザ等になっている▼広州アジア競技大会が12日〜27日まで開催。メダルは中国416個、韓国232個、日本216個。残り32ヶ国で713個と国力が明白に▼銀杏(ぎんなん)の匂の中、紅や黄色の落葉を踏みながら道を急ぐ。人も木々も12月へ向う。

 

   2010年 11月号

  10月6日、鈴木章北海道大学教授(80)、根岸英一パデュー大学教授(75)がノーベル化学賞受賞。パラジウムを触媒に有機化合物合成の「クロスカップリング」開発は医薬、液晶基盤など多岐に応用されている。両氏は資源の少ない日本の技術者育成と、研究開発費の必要性を強く説いた。お二人がブラウン博士という良き師に出会えたのも特筆すべき事である▼13日、日本時間11時20分、チリ・サンホセ鉱山にて救助員がカプセルに入り630b地下に向う。50分後に最初の救出者が地上に。家族の控えめな喜び方が印象的であった。21時間45分後33人目の現場監督が無事救出。家族達がそれぞれにテントを張り煮炊きする光景、チリを讃えるコール、神への祈り。心のあり方を考える69日間であった▼炭鉱事故といえば思い浮かぶのは、81年の北海道の北炭夕張新炭鉱。59名の生存安否が確認できぬまま抗口密閉、7日後注水。高い技術の日本で何故と胸が痛んだ。だからこそ今回の成功が嬉しい▼21日、羽田空港にて国際定期便が32年ぶりに再開。ターミナルには江戸の街並みも出現し便利になり大歓迎だが、あの成田闘争は何だったのだろうか▼26日、東京に木枯らし1号。札幌に初雪。冬が一気に近づいた▼1日、83円33銭/jで始まった為替は、円高が進み25日に80円49銭。29日80円67銭▼10日より29日まで、名古屋にて生物多様性条約COP10(締約国会議)が開催され193の国と地域が参加。日本は20億ドルの支援を発表した。先進国と途上国との鬩(せめぎ)ぎ合いも、最終的に譲歩し合う形で議定書採択。バイオテクノロジー産業も安堵したが、地球を守る難しさが浮き彫りになった▼10月に入り日米のプロ野球はリーグ優勝戦に突入。27日、ジャイアンツ対レンジャーズのワールドシリーズ、30日、ロッテ対中日の日本シリーズが開幕。街は連日賑わっている。

 

   2010年 10月号

 1924年ベルリンで催された第1回大ドイツ放送展は、途中でIFA(世界家電見本市)と名称を変え今年で50回目。9月3日から8日まで開催され3Dテレビは日本の各メーカーが映像の美しさをアピールした。韓国のサムスンとLGはインターネット機能を強化したスマートテレビ。LGの厚さ88_画面も話題となる▼8日、雨が降り55日間の熱帯夜が終った。猛暑で弱っていた蚊の羽音を久し振りに聞く▼10日、日本振興銀行破綻によりペイオフ初発動。1.9%の高金利までの保証は如何なものか▼19日チリ独立200年。サンホセ落盤事故で8月5日から地下700bに閉じ込められた33人は、国民と一緒に国歌を歌う▼24日、イチロー10年連続で200安打達成し、一位のP・ローズと並ぶ。連続記録はW・キラーを昨年に超えている。安打製造機と揶揄されても、決してぶれない精神力に敬服▼30日、チューリッヒ動物園のマダガスカル・マソアラ熱帯雨林温室で育てたカカオから、初のスイス産チョコレート製造。アオギリ科の30a程の豆は、嘗て南米で貨幣の代わりに使われ、10個で兎一羽。苦く薬の様に飲まれたが、1504年コロンブスが持ち帰り、ヨーロッパ人の手で今のように変身した▼7日尖閣諸島付近で中国漁船逮捕。13日中国船員14人釈放し漁船返還。20日中国にてフジタの社員4人拘束。25日中国人船長釈放。30日フジタ社員3人解放。一人は未だ拘束中▼日本人は海の天然の防波堤の中で平和を育んできたガラパゴス人種なのだろう。今更ながら多くの国と国境を接している現状を思う。中国のレアアース輸出規制に伴い、各企業は他国供給を模索。今は企業努力ばかりが頼りである。

 

   2010年 9月号

 8月6日、広島平和記念式典に米ルース駐日大使、英仏代理大使、潘国連総長が初めて出席。9日長崎式典は英仏代表出席▼熱波の東京を離れた。それでも矢張り暑いが空気の良さに人心地つく。黄色い精霊蜻蛉(しょうりょうとんぼ)が群れをなし、夕方西を眺めれば、空が暗くなるにつれ金星の光は増し、眩しい程に輝いてくる。8日、傍に火星と土星が並び、少し離れた右下に水星。やがて一つずつ山に沈み、北には北斗七星が大きく横たわった▼子供の頃、日暮れまで遊んでいると通りかかった大人に「人攫いが来てサーカスに売られるよ。」と脅された。しかし1961年に千駄ヶ谷の東京体育館に観に行ったボリショイサーカスは、見世物小屋の暗さはなく、美しいロシア人達の素晴らしい技に感嘆した。翌1962年の大西部サーカスはロデオ術など解説を聞きながら見た。『赤い呼び屋』と呼ばれた芸能プロモーター~彰(じんあきら)氏の国際交流企画で、異文化への憧れの強い時代であった。15日、久し振りにボリショイサーカスを観ながら、走馬燈のように50年が駆け巡った。本当に日本は変わった。日本だけでなく世界全体が変わった。50年前と同じ演目「ライオンになった美女」に歓声を上げる子供達の姿に心が和んだ▼16日、丸ノ内JAXAiに6月に地球に戻った小惑星探査機「はやぶさ」のカプセルを見る行列があった。5日間で4万人が訪れたという。洗面器を併せたような直径40センチのカプセルは、大気圏突入時の熱で外側が真っ黒になっていた。子供連れも多かったのだが、それにも増して年配の人も多い。みな夢や希望を見たかったのだろう▼23日人形アニメ作家川本喜八郎(85)死去。NHK人形劇82年から84年の「三国志」、93年から95年「平家物語」の精錬された美しい人形達を作った▼8月は30日間熱帯夜で約500人が熱中症で命を落とした。秋風をこれほど待った年はあっただろうか。

 

   2010年 8月号


宿り木
モン・サン・ミッシェル
ライトアップされたモン

  前日未明は暴風雨が吹き荒れたらしい。テレビでは死者が50人出たと報じ、水没した街を視察したサルコジ大統領が、300万ユーロの援助及び減税を発表していた。ロワール地域も、大きな松毬(まつかさ)を付けたレバノン杉など常緑樹が根を見せ倒れて、河原も浸水し木々は水の中から枝を広げている。森は落葉樹の裸木の枝があるばかりで、緑の葉を茂らせた丸い形の宿り木が、枝々にぶら下がっていた▼ロワール河のジャック・ガブリエル橋向こうの尖塔が、12世紀末に建てられたサン・ニコラ教会。右手がブロワ城。1429年にジャンヌ・ダルクはここからオルレアンに出発した。ルイ11世が1498年国王となってから、7人の王と9人の王妃が住んだ後、100年後に宮廷はパリに移った。栄光と陰謀が渦巻いた場所だが、政権から離れて400年、街は静かに佇んでいる▼モン・サン・ミッシェルは富士山に似ている。遠くからもその姿が判り、近づく程に大きくなるが、間近になっても中々着けない。ハリケーン・シンシアの影響は此処にもあって、連絡道路だけを残し、嘗てのように海に浮かんでいた。名物のスフレオムレツを食べた後、島に向かって散歩をする。先程まで西の方に見えた夕焼けが消え、空は紫に包まれた。そして紺青色へとゴッホの絵その侭の空を見る。やがて辺は闇となり、ライトアップされたモン・サン・ミッシェルは光りだした。強風の中を歩を進めれば、島は少しずつ大きくなり、その姿をはっきりとさせていった▼7月11日、参院選は民主44議席、自民51議席、みんなの党10議席、その他16議席▼12日、ワールドカップ閉会式に防寒服を着込んだネルソン・マンデラ夫妻が登場。18日に92歳になる氏は穏やかに微笑んでいた。反アパルトヘイト運動で27年間の投獄生活の後、1993年にノーベル平和賞を受賞。部族をまとめアパルトヘイト廃止へ導いた。1994年に南アフリカで初めて全人類参加選挙で大統領に。「私達が最も怖れるのは無力ではなく、計れぬ力がある事。光であって闇ではない。自分が優秀な筈がないと無能なふりをしても世界に役立たない・・ 」との就任演説は有名である。今回の大会も氏が強く希望し、大方の予想を裏切り見事に成功させた▼オランダとの決勝戦はスペインが優勝。しかし一番の人気者は8試合の勝敗全てを当てたドイツ・オーバーハウゼン水族館の真蛸のパウル君。蛸は無脊椎動物の中で一番知能があるという。「悪魔の魚」と嫌われていたが、世界中の好物とならないと良いのだが▼23日、スイスの氷河特急転覆。氷河はもはや見えないがアルプスを堪能出来ると人気。日本人1名死亡、38人負傷▼26日、昨年度の平均寿命が日本女性が86・44歳で25年連続世界1位、男性は4位で79・59歳と厚生労働省発表。平和の証に感謝すると共に、高齢者がただ生かされているだけでない事を願う▼30日、15年ぶりに1ドル85円台。1995年4月19日に79円台になったのが最高円高だが、世界の金融に木の葉のように揺れている日本である。

 

   2010年 7月号

 6月2日鳩山総理辞任声明。8日菅直人内閣発足▼03年5月9日「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に向け出発。イオンエンジンで小惑星間航行、小惑星の精密観測、着離陸とサンプル採取は自身の判断、地球に戻る等、世界に先駆けたミッションと先進技術満載だが、両サイドの太陽電池パドルを広げてもやっと5.7mの小型機。同時期に「金物情報ニュース」発刊。自らの船出と重ねた。「イトカワ」の全長は東京スカイツリーより100m短い535m。05年11月26日着陸、サンプル採取し離陸。7週間交信不通、エンジン4基中3基故障、姿勢制御装置3台中2台故障等、4年の予定が7年、60億qの航海となり地球に戻って来た。4月15日から特設サイトより日々の様子も伝えられた。13日午後10時51分、カプセルを落とし花火の如く弾け光り燃える。新しい命を地球に送り、命尽きたかの様に。新しい命を地球に送り、命尽きたかの様に。「漆黒を七歳(とせ)旅し還り来ぬ 探査はやぶさ煌めきて消ゆ」▼しかし「金物情報ニュース」は、これからも皆様と共に頑張ってゆく所存である▼23日、日本政府はギリシャに最大2千億円融資決定▼25、26日カナダ・ムスコカG8サミット。26、27日トロントG20サミット開催▼14日カメルーン戦1ー0、19日オランダ戦0-1、25日デンマーク戦3-1でベスト16出場へ。29日、東京タワーは再び尖塔が赤と白、その下は真っ青となり、サッカーW杯日本戦を伝えた。パラグアイとは0-0の末PKで敗れる。選手達の涙が美しかった。それが移ったように東京では大粒の雨が降り出した▼科学、スポーツと長年の積み重ねが花開き、日本列島が久し振りに沸いた6月であった。

 

   2010年 6月号

 昨年末からロングランの3D映画「アバター」を観に行った。渡された眼鏡は重く、多くの人が使い回してると思うと良い気持はしない。しかし映像の奥行きの深さは想像以上で、飛び出しの臨場感も中々である。右と左が交互に1秒間に144回ずつ見えなくなることで立体に見える。片目で平面にしたり、外して滲んだ画像を見たりと検証にも忙しい▼三月初めにテレビ画面が突然真っ暗になって以来、静かな日々が定着した。テレビ売場を覗いてみると50インチの3Dが人気である。カラーテレビが出た時に白黒で充分と思った様に、何れ3Dも普及するのだろう▼5月10日から19日まで国際通貨基金(IMF)代表団が訪日。経済動向、政策課題を協議し、日本の公的債務が前例の無いレベルであり、消費税を徐々に引き上げ財政健全化を計る様声明▼21日、HUAロケット17号は蒸気機関車の様に水蒸気を出し発射を待つ。燃料のマイナス253度液体水素の煙である。金星探査機「あかつき」は太陽帆船「イカロス」等と搭載され6時58分22秒飛び立った。翌日25万q先から青い眉月の地球の映像が届く。金星到達は12月▼28日、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は10年ぶりに最終文書採択。一方日米は米軍基地辺野古移転を共同声明▼同日i・Pad発売。B5版、700g前後の重さ。インターネット、写真、ゲームの他、新聞雑誌や本も読める。文字や意味は直ぐに調べる事ができ、「不思議の国のアリス」は1865年のジョン・テニエルの挿絵が彩色され動く。インクの匂、紙の手触り、本に囲まれた幸福感を知らぬ世代が出てくるのだろう。知る事ばかりが知識ではない。思考力、判断力が生まれねば人は幸せにはなれない。

 

   2010年 5月号

 4月5日山崎直子宇宙飛行士の乗るシャトル出発ライブ中継を見に行った。東京駅丸の内北口右手にガラス張りの建物オアゾがあり、青空に日本の技術を誇る、橙色のHUAロケットの大きなパネルが見える。エスカレーターで2階に上った所がJAXAi(宇宙航空開発機構情報センター)。150uのフロア中央に大きな宇宙服がある。その奥にHUAロケットのメインエンジンLE7Aの実物。宇宙の展示品に囲まれ280人と共に、午後7時21分成功を祝う。第二次大戦末期、世界最高技術で開発されたロケットが、人間爆弾「櫻花」であった事を思うと万感交到る▼20日午後10時8分、シャトル帰着▼26日事業仕分けでJAXAi閉鎖決定▼29日は久し振りに暖かに晴れ、JAXAiは賑わっていた。2003年に打ち上げた小惑星「イトカワ」の探査機「はやぶさ」の6月13日帰還に合わせ、2千分の1の「イトカワ」や、8分の1の「はやぶさ」も展示。惑星の名は1955年に23pのペンシルロケットを成功させた糸川英夫博士に由来する。職員達はどんな質問にも熱心に答え、子供達が工作やゲームなど楽しんでいた▼オアゾを出て皇居の濠に向う。日本工業倶楽部会館は大正9年(1920年)竣工時のドーリア式石柱やエントンランスホールなど南側が残されている。更に進むと、大正5年(1916年)建設の赤煉瓦に青い尖り屋根の、東京銀行協会ビルが高層ビルに付き、和田倉橋から東京駅を眺めると、大正時代の街並みの高さが見えてくる。丸ビルを抜けて日本最初のオフィスビル三菱1号館へ向かう。明治27年(1894年)竣工時のまま復元され、6日から美術館となった。オフィス街は様変わりしている。

 

   2010年 4月号

  開港したてのシャルル・ド・ゴールから36年。長いエスカレーターなど超近代的と話題の空港だったが、月日が壁や空間に染み込んでいた。しかしパリの街は見違えるほど綺麗になった。21世紀を迎える時、洗い、磨き、彩色したという。その上あちらこちら金色に輝く。しかし基本の街並みは変わらない。建て替えも前と同じ様に建て、マクドナルドの看板もシックに緑色である▼3月8日、シャンゼリゼ通りに行くとフランス人が群がっていた。ファイナルファンタジーXIII 欧米発売前日イベントがFnac店であるという。日本人と分かるとゲームの事を聞いてくる。伝統文化ならば少しは答えられたのだが▼北野武氏の顔が大きく載っている雑誌や新聞を見かけた。映画の賞でも受賞する話だろうと思っていたら、9日フランス政府よりコマンドゥール勲章を受章したという▼ルーブル美術館から1`ほど上流の、ポンピドゥー芸術文化センター前の小さな通りを挟んでDIYのLeroy merlin店がある。ポンピドゥー芸術文化センターには国立近代美術館がありピカソやダリの絵などがある。子供用のプログラムがあったのか、工作品を抱え母親に手を引かれ子供達が出てきた。ここで11日から6月21日まで北野氏の映画50本を上映▼モンパルナスのカルティエ財団現代美術館でも、9月12日まで展覧会が催されていた。ペンキ屋の父親の影響を受けたという作品群は、夜店の見物小屋のようでもあり、芸術か判然としない気持を抱えてオルセー美術館に行く。嘗てルーブルにあったミレーやコロー、ジュ・ド・ポームにあった印象派絵画が並ぶ。窓の外にはセーヌ川の対岸に前日訪れたルーブル美術館が見える。こんな環境にいると、時には口直しが欲しくなるのだろうか▼見かけるカメラは殆どが日本製。日本の会社も随分と増え、日本車も予想以上に多い。スーパーには大きく「寿司」と漢字までそえられパックが並ぶ。36年前の十把一絡げで東洋人と括られた時とは、明らかに違う扱いを感じる。これから日本はどう進むべきなのか。ゆっくりでも確実に歩んでいきたい。

 

   2010年 3月号

 2月1日夜から雪。都心も僅か1aの銀世界。翌朝月曜日、電車遅延を知らせるアナウンサーの声も弾んで聞こえる。淡雪や霙(みぞれ)の日が続き、18日1時過ぎ、今月9日目の雪が舞う。雪景色は9時頃、霙となり消えていった▼3日節分。昔は夜になると「鬼は外、福は内」と各家から声が聞こえてきた。五合升に豆を入れ、3回ずつ叫んで豆を撒く。庭木の暗闇には鬼が潜んでいそうだった。旧暦では立春が正月。その前日に鬼を払い、数え年に一つ足した豆を食べ翌一年の息災を願う。宮中では追儺(ついな)と呼び、706年文武天皇が始めたという。豆を撒くのは年男。いなければ家長。12歳になるのが楽しみだった。今は柊や鬼の面も添えられ節分セットが売られている。父親が鬼になり逃げるらしい▼ソプラノの囀りに足を止めると、乙女椿の花が動いている。二羽のメジロが花の蜜を吸っていた。萌葱色の鶯餅によく似た鳥である。更に遊歩道には珍客が現れた。白鶺鴒(ハクセキレイ)が尾羽を振りながら歩いている。人が傍を通っても恐がりもせず、パン屑を啄んだりしている▼12日、バンクーバーオリンピック開催。「先住民の尊重と自然との共生」を掲げ、地元先住民も準備組織に入った。イヌイットなど300人が踊り歓迎。多彩な色と光に包まれた祭典を見ながら、ハイチ被災者を思う。大地震から一ヶ月。雨季の始まりの大雨が降った▼15日、シー・シェパード員が日本調査捕鯨船に乗り込む。21日、レーザー光線照射▼22日、日経新聞が2009年度末で国の正味資産がマイナスに転じた模様と報道。23日からトヨタの米公聴会開始。日本の行方が心配である。

 

   2010年 2月号

 元旦の初詣は赤坂日枝~社、芝増上寺、氏神と例年通り近間を詣でる。順序が逆だが、家に戻り冷えた身体に温かな蕎麦で一息。部屋の西側の窓から満月が煌々と光る。4時頃、左下が僅かに欠け、4時22分約8%の月食。二兎はひっくり返って餅を搗いていた▼古来日本は満月を月の初めとしていたが、604年聖徳太子が中国の新月を朔日(ついたち)とする太陰暦に改めた。十七条憲法成立の年である。明治6年(1873)1月1日から太陽暦のグレゴオ暦となって、初めての元旦の月食。天からの贈り物に感謝して一年をスタート▼12日、ハイチ共和国、M7の地震。1492年にコロンブスが発見した西インド諸島の一つである。先住民インディオは過酷労働で全滅し、今は奴隷海岸から来た西アフリカ人の子孫である。1805年南米初の独立国家となるが、未だ政情が安定しない。国家形態の粗末さが被害を大きくし、死者は人口2%に当たる20万人に達している▼15日、月は地球と太陽の間に入り新月となった。関東以西は日没前に部分日食を観測▼17日、15年前M7.3の阪神淡路大震災。揺れは街並みを飴のように曲げた。街は復興しても、失った6,200人への痛みは未だ治らない▼18日より通常国会招集。国民は身を切り正に血税を納めている。議員は自らの納税に真摯であるべきである。ましてや・・・▼25日、枕草子に「星はすばる」と書かれ六連星(むつらぼし)とも呼ばれるプレアデス星団が食。十夜月は7時18分から、エレクトラに始まりメローペ、アルキオーネの3姉妹、最後に父親アトラスと3時間半ほどかけ、左の影で飲み込み、明るい背中から出すように通り過ぎていった▼30日、今月2度目の大きな満月が昇る。

 

   2010年 1月号

 12月2日、平山郁夫画伯死去(79)。20年ほど前、港区御成門にある東京美術倶楽部で、平山郁夫展があった。砂漠の石窟の仏像や砂丘に駱駝の隊列など、シルクロードの絵が並び、静かな空間に時間が凝集した世界に、心を奪われた。2001年タリバンにより石仏破壊。その後の画伯は文化保護や教育にも一段と熱心であった。破壊された石像の破片が氏の下に送られ、上野の東京藝術大学で展示。幻想的な氏の石像達とは別に、力強い石仏を直接見る機会もあった。広島で被爆された氏の心の奥深さを、とても窺(うかが)い知る事は出来ないが、それでも慈悲とは何かを感じさせて頂いていた▼コペンハーゲンにて7日より開かれていた国連気候変動枠組み条約締約会議(COP15)は、各国が地球環境危惧を認識し集まったが、大混乱の末19日、合意出来ずに承認で終了。良い道への一歩でありたい▼1月のしぶんぎ座、8月のペルセウス座、12月のふたご座が三大流星群。14日夜11時過ぎ、火球が飛んだとのニュースに、15日に入った頃空を仰ぐ。雲はあるが空は澄み、天頂近くのふたご座に、オリオン座、シリウス、プロキオン、アルデバランとくっきり見える。雲間から流星があればラッキーと、コートを着込みベランダで横になり待つ事30分。西の空に長く星が流れた。軈(やが)て雲は去ったが空が鈍る。短い流星を更に3個見て室内に戻った▼2009年は米国は黒人のオバマ大統領、日本は民主党が政権交代と変革の年となった。又、新型インフルエンザによって、世界的感染を防ぐのは難しいことも判明した。地球に呉越同舟する国々が、船より落ちず、落さず、壊わさず、尊厳を守り合っていきたいと祈る。

 

 

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