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 Paragraph  2004 バックナンバー

   2004年 12月号

 命について考える事が多かった。10月27日朝、香田証生さんの人質ビデオが流れた。恐怖で渇いた口に唾を飲み込み「すみませんでした。又日本に戻りたいです」と言う彼の表情に胸を打たれた。古来、何かを求め旅に出る若者はいた。他国に安住した者も、事故や賊に命を奪われた者もいた。しかし最後の瞬間、彼等の見つけた答えは望郷だと、ビデオは語っていた▼彼の斬首動画が、小中学生に出回っているという。インターネット時代は、伝えたい方の情報が無制限に流される。米国では有害サイトの自動禁止フィルターが普及している。日本でも緊急な対策が望まれる▼午後は皆川優太君(2歳)の救出が中継された。92時間ぶりの奇跡には、阪神淡路震災後に作られたハイパーレスキュー隊、人命探査装置シリウスと警察犬の存在がある。被災者の方も息を詰め見守っていただろう。そして多くの勇気と希望を貰っただろう▼11月6日の天皇皇后両陛下の御見舞いも、何よりの慰めになったろう。幸い日本は物資は集まり易い。速やかな復旧と精神面のケアーが望まれる▼11日、35年間パレスチナ解放機構(PLO)議長だったアラファト氏が亡くなった。彼のターバンはエルサレムを顕していたが、その地への埋葬は叶わなかった▼25日モハマド君が再来日した。ファルージャ総攻撃で自宅も焼かれ、ショックを受けていると聞いていたが、インタビューに答える顔は、4ヵ月前より少し大人び寛いで見えた。安全を実感していたのだろう▼同日13人の中国とロシアの残留孤児が来日した。戦争の爪痕は未だ残っている。

 

   2004年 11月号

イチローの試合を連日深夜、早朝と見た。バッターボックスの静かで燃える表情。257本目のタイ記録達成時電光掲示板に日本語で祝いの言葉。遠いアメリカの出来事なのを一瞬忘れた。スタジアムが湧き上がる中、10月4日、年間最多安打262本の新記録を樹立し、彼の今シーズンは終わった。外に出ると風が金木犀の香りを運んできた。気がつけば昨日までの残暑から爽やかな秋の空気に変わっていた▼カラオケを発明した井上大祐氏がイグ・ノーベル平和賞受賞、ロシアの温暖化防止条例京都議定書への批准の動きなど、明るい話題に心が躍った▼米国の大統領選。ブッシュ大統領は京都議定書を国益に合わないと切り捨てた。イラクとの戦争、それに伴う自衛隊派遣など問題も多いが、クリントン時代の様な日本叩きは無かった。漸く日本の経済が上向きになった所で、民主党に戻るのも不安である▼20日大型台風23号は、堤防決壊が相次ぎ大きな被害をもたらした。泥水を被った街が復旧するにはどんなに時間がかかるだろう▼天候の不順は野菜の値を2倍3倍に上げた。オイル価格の高騰も気になる▼23日書店にいた時、突然大きな揺れを感じた。震源地は新潟県小千谷市、M6.8。度重なる豪雨で地盤は弛み崩れやすく、被害は拡大した。今回唯一の救いは、阪神淡路の教訓で緊急対策本部がすぐに設置され、自衛隊も迅速に派遣され、又ボランテァ活動もスムーズに動き出した事だろう。こんな時彼等の働きは心強い。震度5前後の余震がいつまでも続いている。陸の孤島の豪雪地帯。ライフラインの早急な確保を願う。

 

   2004年 10月号

9月17日パラリンピック開会式では中央にプラタナスの大樹が立ち、マグマ、水、大地と地球の生命力を讃えた。ボランティアを交え、和やかな入場風景の中、アフガニスタン、イラク、パレスチナの選手へは惜しみない拍手が送られた。戦争による障害も考えさせられた▼パラリンピックを知ったのは64年第二回東京大会の時である。オリンピックとは違った感動を覚えた。パラプレジックオリンピック」(対麻痺の人々のオリンピック)を縮めて名付けられ、日本ではその後もこう呼ばれたが、他国では特に名称はなかった。88年第八回ソウル大会から、パラレル(平行、類似)とオリンピックを組み合わせて正式な名称となった。連日メダルラッシュが続いているが、生中継がないので、オリンピックの時ほどの興奮が味わえないのが寂しい▼七年ほど前、青山トンネルの手前の交差点で、体の上半身だけが横断歩道を渡って来る錯覚に陥った。振り返りたい気持ちを抑え思い廻せ、座席の位置が高い車椅子の人とすれ違ったのだと、考えが至った。後日、乙武洋匡氏の『五体不満足』の本が出て、新緑の陽射しの中のあの光景は乙武氏だと知った。「五体不満足は僕の特徴です。」と明るく言う彼の姿勢は我々にも励みになる▼最近自宅近くの駅のホームで、車椅子の男性を何度か見かけた。電車が来ると声を上げ喜んでいる。以前バスで楽しげに駅名を言う人が、迷惑だと降ろされるのを見た。彼等からこの楽しみを奪わないで欲しいと願う▼街は欧米並のバリアフリーが急ピッチで整備されてきた。精神面も追いつきたい。

 

   2004年 9月号

アテネオリンピックはさすがにヘレニズムの発祥地だと感嘆した。開会式でエーゲ海を模した水盤の周りで繰り出すギリシャ時代絵巻。彫像もレリーフもみな人間が演じる素晴らしさ。DNAで終わるのも人間の本質を突いて面白い▼屋外プール場は太陽の下、透明な水はキラキラ光り、日焼けした選手達はエーゲ海のビーチさながら生き生きしている。日本のメダルラッシュに色々分析の声があるが、何よりギリシャの風土が日本人を受け入れてくれたのではないかと思う▼BC490アテネの戦勝報告の伝兵が「喜べ」と叫び息絶えた、というマラトンからアテネへの道を、選手達は西へ橙色に輝く太陽に向かって走った。40`の起伏は激しく故事通り過酷な道であった▼シンクロナイズド・スイミングが始まった頃、黄昏の空に月が浮かび、やがて真っ暗になった。満天の星が輝いているのだろう。ギリシャ神話の神々も、さぞや日本の音楽を楽しまれたのではないか。選手達の胸に輝くメダルの銀の輝きは、月の女神ダイアナにふさわしい▼古代オリンピックでは優勝者をオリーブ冠で讃えた。今回メダリストはオリーブ冠とオリーブの花束が贈られている。乙女達がオリーブの枝で冠を編み、野原で花を摘み花束をつくっている様子を想像し、メダルよりもそちらの行方が気になる。選手達は花束を部屋に飾ったのだろうか?▼閉会式は麦畑、葡萄酒づくり、と大地の恵みで始まった。しかし開催中も相変わらず心痛む事件が起こっていた。平和のシンボル、オリーブと子供達に託した希臘人の思いの深さを感じた夜である。

 

   2004年 8月号

 鋸商工組合の例会で、三条市の問屋さんにお会いし、先日の水害の写真を見せて頂いた。ご自宅の柱には浸水の跡が残り、その高さは大人の首の辺りまである。水に浸かった車もパソコンを始め電化製品は全て使えないという。三条市は金物の町として名高いが、江戸時代初期、川の氾濫に苦しむ農民の経済救済のため副業として金物を手がけたのが始まりである。380年後も自然の脅威に襲われた。自衛隊のヘリコプターが校庭に離着陸するのを、間近に見たお話など伺いながら、平常に戻るにはまだ時間がかかるのだろうと思った。ボランティアの方々の活躍は心強い。一日も早い復興をお祈りしている。▼東京は 記憶にないほどの猛暑が続いている。そんな中、上高地に行ってきた。穂高連峰の残雪が連日の暑さを忘れさせた。渓流からさわやかな風が、森林の甘い香りを運んでくる。日本が緑豊かな国であることを実感するひとときである。芥川龍之介の小説で有名な河童橋で、多くの人がシャッターを切っていた。▼今年の経済財政白書を始め、次々と景気回復の報告がされている。民間の努力が実を結んできたようである。苦節10年と言うが、バブル崩壊後漸く抜け脱して来た感がある。有名ブランド店も次々と建つ。それを買える人達がいるのだろう。一方で戦後の混乱期は別として、ホームレスがこんなに目につく時代は嘗て無かった。日本は総中流階級と言われてきたが、二極化してきている。昨年の自殺者が過去最悪3万4千人、40代以上が7割を超え失業、借金など経済的理由が急増している。まさに企業のスリム化の皺寄せである。しかしこれからは、ここにも徐々に光が射してくるだろう。もう少しの辛抱である▼8月13日、アテネオリンピックが開催される。間に合わぬと懸念され工事も、次々完成のニュースが入る。ギリシャの人達頑張れよ。と声援を送りたくなる▼百八年前、第一回の近代オリンピックを発祥の地アテネで開催したクーベルタン男爵は、オリンピックの創始者として有名だが実は教育家である。青少年をスポーツを通じ心身のバランスが取れる人物に育て、人間の尊厳を守る、平和な社会の実現を理念としていた。彼が参考にした古代オリンピックは、BC776年からローマに禁止されるAD393年の1169年間、開催前後3ヶ月間は武器放棄が守られていたという。かつて氏の理想に胸を熱くし、オリンピックの開会式をテレビで見た。独立したばかりの国の、僅か一人二人の選手の行進に感動した。あの頃は平和な世界がすぐ傍まで来ていると信じていた。ナチスのプロパガンダに利用された過去を持つにせよ、1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻までは世界平和の旗印になっていたように思う。この度のアテネ五輪の警備費は10億ユーロ(約1300億円)という。オリンピック開催中にさえ平和などないことを象徴している。且つ遺伝子組み換えの危惧さえ持たれる勝敗への執着。取り巻く金銭。近代オリンピックは1世紀しかたっていないが、今や瀕死状態である。▼今、世界の平和は遠い。お祭り騒ぎを楽しんで良いのか、と躊躇いの気持ちすらある。それでもマラトンからアテネの約40`のマラソンに、遙か古代ギリシャに思いを馳せ、見てしまうだろう。

 

   2004年 7月号

 紫陽花が雨に濡れ美しい。しかし最近、忘れられない映像が幾つかある。フリージャーナリスト橋田信介氏の遺志を受け、目の手術に来日したモハマド君10歳が、父親とズボンをたくし上げ海に入っている姿。海を見たのは初めてだという。彼には天国に思えたのではないか。爆撃はなく食物、治安、高度な医療、今イラクにないものが全てある。手術が成功した彼に、生きのびて欲しいという橋田夫人の万感の言葉に共感した▼橋田氏と言えば日本人人質解放の頃、テレビでお見かけした。61歳まで戦火をくぐり続けた強運と、包み込む暖かい笑顔。こういう日本人がいるのかと驚嘆した。そしてイラクの地で風のように消えた▼アメリカ兵のイラク人虐待の写真。文明が進んでも、人の堕ちる先は変わらないと思い知る▼武装グループに囲まれ助けを訴える。放心した人質を武装グループが首を切り落とす。その映像が流れた時、真実の重みに映画は所詮、絵空事だったと気づかされた。これがインターネットで簡単に見られる事に戸惑う。11歳の少女が友達の首を切る事件も、こんな事も影響していないだろうか▼韓国の貿易商通訳も殺害された。金鉱に吸い寄せられるように、危険承知でビジネスに集まる人々を、なんと考えたらいいのか▼先日のサミットで小泉首相は多国籍軍への自衛隊参加を表明した。これが軍靴のターニングポイントか、それとも日本を他国、特に北朝鮮から守ることになるのか▼7月11日は参議院選挙日である。子供が孫が子孫が、今のような平和な日本で暮らせるよう、一票を大切に使いたい。

 

   2004年 6月号

昭和三十年代頃まで、鍵を掛ける習慣のない家が多かった。誰かしら家に居たし、近所の目があり見知らぬ者が勝手に入り込めない雰囲気もあった。高度経済成長と核家族、隣人との希薄な人間関係は気楽な反面、セキュリティに神経を使う必要が出てきた。外国人犯罪も多いため、手口は今までにないほど巧妙かつ大胆である。盛況な「錠前・技術工具展示会」会場で、ふとかつてののどかな日本が懐かしくなった。▼B29の爆音に耳をふさいだ幼い日の記憶がある身には、イラクの爆撃のニュースには心を動かされる。三年前のアメリカでの9・11事件の時、イスラムの人達は何をそんなに怒っているのかと思った。しかしそれを問うこともなくアフガニスタン、さらにイラクが爆撃された。その後日本は、アフガニスタンに最大5億ドル日本円で550億円、イラクに50億ドル日本円で5500億円の復興支援を約束している。しかし本当に彼等はこんな事を望んでいるのだろうか。▼他方、我が国の年金問題は何とも情けない事になっている。不足と言うが、自ら不足させている人達がいるように見え、若者に未払い者が多いのも無理もないと思う。▼子供達と再会できた拉致被害者地村、蓮池夫妻を心から祝福する一方、横田、有本夫妻の長年の絶望が蓄積された、深い悲しみと怒りの表情にいたたまれない思いを持った。それでも日本は北朝鮮にも25万トンの食糧と1千万ドル日本円で11億円の医療品などの支援を約束したという。▼国民の支払った金は、国民が納得できるように使って欲しいと切に思う。   

 

   2004年 5月号

 四月を迎えるに当たって小売業の方は大変ご苦労なさったのではないだろうか?三十一日の夜は徹夜でしたよ、というお話も聞いた。レジスターが間に合わないので消費税が別に記載されています、と言われて消費税が導入された時も混乱があり、電卓で加算されていた事も思い出した。どちらも大変であったろう。十三年間消費税別表示になれた頭には、物の値段が上がったように感じられる。
 港区では雨後の竹の子のように高層ビルが建ち空が奪われ、いくつバベルの塔が建つのかと嘆き合っている中、六本木ヒルズで回転ドア事故が起きた。子供の死という溜息ではすまされない事態に言葉を失っていた矢先、イラクで日本人人質のニュース。二十年前クラス会に口髭を蓄えてやってきた学友が、中近東では髭がないと子供扱いされ仕事がスムーズにいかないのだと話していたのを思い出した。イスラム教徒の契約に対する考えが日本人と全く違い、その辺を理解しないとトラブルが生まれるとも聞いた。考えてみると私達は欧米文化の情報は多いが、東南アジアや中近東、アフリカ大陸の事をあまり知らない。それでも日本の企業の人達は彼等との折り合いを見つけ、上手くやってきたのだろう。中近東の人達が日本に寄せる信頼や親近感は、彼等の努力の賜である。特にイラクでは経済封鎖の中、良き時代の思い出として日本を懐かしんでくれていたという。
 想像を絶する体験をした五人が無事帰国された事に安堵すると共に、ご家族を含め心身共早く回復されることを祈っている。

 

   2004年 4月号

 三月十一日スペイン・マドリッドにてアルカイダによる同時列車爆破、百九十人死亡。十二日韓国で盧武鉉大統領の弾劾訴追案可決。十九日台湾陳水扁総統が総統選挙前日に狙撃。二十一日ネパール、政府軍と非合法武装勢力が十二時間戦闘、五百人死亡。二十二日パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの創設者アハメド・ヤシン師がイスラエル軍に殺害。
 二週間の間に、これだけの事件が起こり多くの血が流れた。かつて、人類が一つとなり平和に幸せに暮らせる日を、二十一世紀に託したはずなのに、グローバル化は実現したものの、それはテロであり、戦争であり、又AIDS、SARSといった病気であり、さらにはBSE、鳥インフルエンザと食生活にも見えない影を落としてきている。
 今や情報の速さは、犯罪や感染の速さに比例している感さえある。それでも日々を真摯に生きていくことが、やがては明るい未来を築く道なのだと思う今日この頃である。
日本に目を転ずると、二月のオフィスビルの平均空室率は先月に引き続き8%となり、かつての22%から大幅に改善されている。新しいビルが次々出来る中でのこの数字は、かなり景気が活発化してきた証と思われる。又、国土交通省の公示地価発表を見ると、下げ止まりが明らかで都心部は上昇してきている。バブル崩壊後、長い間の低迷期に耐え、漸くその辛抱が報われる時が近づいてきたのを予感できる数字である。
 満開の桜の下で飲む酒も今年は一段と美味しかったのではないだろうか。

 

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